福寿小BLOG

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もしも学校がなかったなら

掲載日:2024.07.03
できごと

 もしも学校がなかったなら、どうしても親の志向や嗜好が中心の生活を過ごすことになるだろう

 そうすると...

 虫の嫌いな親に育つ子は、虫探しに熱中する楽しさを知らずに大人になるのだろか...

 きょうだいの居ない子は、物を奪い合って喧嘩をしたり、意地悪をしたりされたりすることで養われるはずの社会性を持たないままに、大人になるのだろうか...

 土いじりの楽しさや、本の世界の素晴らしさ

 科学の奥深さや、数式の潔さなどなど、知らないままに育つのだろうか...

  

  

 今日は1年生と特別支援学級の子ども達が「シャボン玉作り」に興じていました。

 綺麗な虹色の玉や、透き通った透明の玉を眺めながら、改めて学校のもつ大切な役割と、私たちが担う大きな役割を再認識し、教師という仕事に誇りを感じるとともに、かつて「しゃぼんだま」に熱中した頃の自分を思い出していました。

  

「どうやったら、大きなシャボン玉を作れるんやろ」

「なんで、同じ液からできるシャボン玉なのに色が違うんや...?」

「そもそも、なんで、球になるんやろ」

「さわっても壊れないシャボン玉って、作れーへんのやろか」

「でかいシャボン玉の中に入って、空に舞い上がれんかなあ」

  

 毎日、毎日

 飽きもせず、「ご飯よ~」と呼ばれるまで、様々な「しゃぼんだま作り」に熱中してました。

 デジタル時代に育つ現代っ子は、どうなのだろう...

 帰宅したら、シャボン玉なんてつくっているよりゲーム...?

 帰宅したら、虫を追いかけるよりゲーム...?

  

 せめて、晩ご飯のときに

「今日、学校でシャボン玉作りしたよー。めっちゃ綺麗やったー。」ってな会話が弾む時間はあって欲しいなあ

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