福寿小BLOG
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評価と価値
- 掲載日:2024.10.10
- できごと
この夏、体調を崩して外に出られなかった時間が長かった関係で、家の中の物の大々的な断捨離を決行しました。
押し入れや倉庫などを徹底的に整頓しましたが、何度大掃除を繰り返しても捨てられない物があります。
子どもの成績表や賞状、あるいは夏休みの研究や図工の作品群など・・・。
捨てよう、捨てようを思いつつも、一度眺めてしまうとなかなか「捨てる」という決意に至らないのが毎度のパターンです。
明日は前期終業式。
子ども達は、担任から「子どものすがた」を受け取ります。其処に表された"評価"に、子ども達は一喜一憂し、親はいろいろな思いを巡らせます。
この「子どものすがた」は、いわゆる"評価"なので、子どもや保護者向けに出されるものではありますが、私は昔から、これは自分への"評価"だと思いながら、その一枚一枚を子ども達に手渡しておりました。
良い評価は、当たり前ですが、その児童あるいは保護者の方々の"努力の対価"です。
逆に、良い評価ではなかった場合、それは"努力"が足りなかったということですが、誰の努力が足りなかったのかというと、私たち教員の努力が足りなかったのです。
理解できるように教えることが出来なかった。
満足のいく作品を仕上げられるような支援が出来なかった。
それを大いに反省する機会となる"自分への評価"が「子どものすがた」です。
ただ、
"評価"は、子ども達の "価値" ではない
"評価" はいみじくも進学へのパスポートであるのかもしれないけれど、人生のパスポートでは決してない。対して、客観的に測ることができない "子どもの価値" は、進学へのパスポートには直結しないだろうけれど、常に子ども達自身とともにある人生のパスポートだ。
客観的に測れないものは、つまりは主観的にしか測れない。
主観は千差万別だから、あなたの価値も千差万別だ。言い換えれば、あなたには「様々な」「素敵な」「人とは違うとっても素晴らしい」価値がいっぱい詰まっているということだ。
よく、「価値は自分自身が決める」と言われるけれど、時により、場面により、大きく自信をもてるときもあれば、落ち込んで「自分なんて、なんの価値もない...」と嘆いたりすることもある。
そんな中、いつも変わらない "価値" が実はある。
親が思う君の価値だ。
帰宅したら尋ねてみてごらんなさい。異口同音にきっとこう言うだろう。
「あなたの価値? それは、昔も今も、あなたがそこに居てくれること。私たちのもとに生まれてくれてありがとう。」